多摩管ブログ

こちらは旧ブログです。

あとがき。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

当連載をお読み頂き、ありがとうございました。
ウィーンという都市、そしてヨハン・シュトラウスやブラームスを、少しでも身近に感じて頂ければ幸いです。
11月3日はパルテノン多摩にウィーンの空気を吹き込めれば…と願っています。
どうぞお誘いあわせの上お越し下さい。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

【予告編】

2015年4月26日の第40回定期演奏会には、またまたブラームスやウィーンと縁の深い作曲家が並びます。

共にベートーヴェンを範としながら、周囲の思惑でブラームスとの対立軸に置かれたワーグナーの「ファウスト」序曲
ブラームス自身が若い頃から傾倒し、熱心に未発表曲の収集までした、シューベルトの交響曲「未完成」
ブラームスを世に出す力となり、ブラームスが終生敬愛の情を捧げた(特に妻のクララに)シューマンの交響曲第3番「ライン」


…またウィーンに行きたくなってきました。
 

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:音楽
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー

■ウィーンは「西」か

ウィーンに旅行する前、漠然とイメージしていたのは、

・19世紀のロマン派芸術を熟成させた都市
・クラシック音楽の集積地

早い話、「ウィーン=ヨーロッパ=西」というものでした。

行ってみると、トルコなどのムスリムやクロアチアなどバルカン諸国の住民が多いことに気づきました。
(これらの国々の料理はおいしくて、旅行中ずいぶん救われました。寿司も駅やスーパーで売っていましたが、ガリはあるのにネタはなぜかサーモンばかり。)

ヨハン・シュトラウスの曲も、練習を重ねるにつれ、ザ・クラシックなワルツだけではないものを感じるようになりました。

ウィーンは「西」だけではないかもしれない。


■チャールダーシュ

今回多摩管は、ヨハン・シュトラウス2世の「ジプシー男爵」序曲を演奏します。
そこに使われているチャールダーシュは、“東的な”匂いのする音楽のひとつです。

チャールダーシュはハンガリー語の「酒場(チャールダ)」から来ていて、もとは酒場で兵士を募るための踊りでした。
それをユダヤ系作曲家のマールクが「チャールダーシュ」として19世紀に大ヒットさせました。

チャールダーシュは、哀愁たっぷりの遅い部分lassu ラッシューと、熱狂的で速い部分frissフリスからできています。
この遅い部分・ラッシューが、弾きようによってはまさに演歌!

チャールダーシュといえば、モンティ作のこの曲。



■クレズマー

チャールダーシュの担い手は主にロマ(ジプシー)でしたが、もうひとつ、バルカン半島や東欧のユダヤ人からヨーロッパ・アメリカへ広がった民俗音楽、クレズマーがあります。
あの「ドナドナ」や「マイムマイム」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」もクレズマーの音楽で、クレズマーの楽士はユダヤ教徒の婚礼や宴会に欠かせない存在でした。

クレズマーバンドによる「屋根の上のヴァイオリン弾き」


映画「おもひでぽろぽろ」の挿入歌で知られる
MUZSIKAS(ムジカーシュ)の歌入り演奏


…何となく懐かしい。

チャールダーシュもですが、もの悲しい音階、音を伸ばしながら細かい抑揚をつけたり、”こぶしをまわす”歌い回しは、遠く日本の民謡にも通じていないでしょうか?

父ヨハン・シュトラウスと同じ世代に、クレズマー出身のグジコフという人気演奏家がいます。
撥で弦を叩くツィンバロンに似た楽器の一種、シュトロイフィドル(麦わらのフィドル)を携えて、
ロシアやプラハ・ウィーンをツアーし、メンデルスゾーンは絶賛、リストは彼を「大通りのパガニーニ」と呼んでいました。
クレズマーの旋律やリズムが、作曲家たちに影響を与えたことは想像に難くありません。

指揮者のパーヴォ・ヤルヴィは雑誌のインタビューで、「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章はクレズマー」と語っています。



メンデルスゾーンと同じくユダヤ系で、世紀末のウィーンを代表するマーラーも、交響曲第1番の第3楽章に、ボヘミアのクレズマーバンドの旋律を使っています。

遊芸人の演奏を表すためか、シンバルを大太鼓の上に固定し、
一人の奏者で演奏せよ、
という指示が。



ウィーンは広大なハプスブルグ君主国の首都として、ヨーロッパからバルカン半島にまたがる東西文化の結節点でした。
西のものだと思っていた音楽にも、「東」のエッセンスがかなりの濃度で隠れています。
遠いようで近い。
遠いから・違うからこそもっと知りたい、
でも近いとわかればそれも嬉しい。

(了)

>> あとがき。 鉛筆2
 

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:オーケストラ
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

★一気読み★ 連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】

これまでの連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】を
一気に読めるよう、連載順にまとめました。

ぴかぴかムードぴかぴかムードぴかぴかムードぴかぴかムードぴかぴかムード王冠2ムードぴかぴかムードぴかぴかムードぴかぴかムードぴかぴか
下に[続きを読む]が表示されている場合は、クリックすると表示されます。
続きを読む >>
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め

■やっぱりワルツは苦手? 

多摩管は創立40年近い歴史の中で、喜歌劇「こうもり」序曲・抜粋と「アンネン・ポルカ」以外、ヨハン・シュトラウス一家の曲をまったく演奏していません。
名曲がたくさんあるのに手が出なかった理由のひとつは、

 ワルツへの苦手意識!! 

ウィンナ・ワルツには独特なリズムのゆらぎがあって、親しみやすいのに遠い存在だったのです。
来る11月3日のプログラムは、40年分の”何となく敬遠”を一挙に、そして楽しく解消する試みでもあります。

ヨーロッパでワルツが登場したのは18世紀で、それほど古い音楽ではありませんが、ワルツのルーツである田舎風ダンスのレントラーやヴェラーは、もっと古くから親しまれていました。

ワルツや舞踏の本場としてウィーンを広く知らしめたのは、1814〜15年開催のウィーン会議です。
父ヨハン・シュトラウスが10代の頃でした。
王侯貴族や各国首脳がお供を含めて1万人も集まったため、晩餐会や舞踏会ばかり続き、
「会議は踊る、されど進まず」
と評されました。

 

ウィーン会議中に舞踏会が開かれたシェーンブルン宮殿の庭園。

 

シェーンブルン宮殿の敷地は、歩ききれないほど広大でした。

 

ウィーン中心部のホーフブルク宮殿もウィーン会議の舞台です。 


 

■日本のワルツ事始め 

 

ウィーン楽友協会の史料によると、
 

「ヨハン・シュトラウスの音楽を最初に聴いた日本人はムツヒト天皇(明治天皇)だった」

 

ウィーン会議から半世紀後の18699月、オーストリア・ハンガリー帝国の軍艦2隻が、使節として長崎に入港しました。 

17歳の明治天皇にベーゼンドルファーのピアノが献上され、ワルツや「アンネン・ポルカ」が献奏されたそうです。

 

17年後の1886年。

フランス海軍士官で作家のピエール・ロチは、鹿鳴館で開かれた明治天皇の誕生祝賀舞踏会に招かれました。

その印象を描いた短編「江戸の舞踏会」の一節です。

 

“わたしたちが一しょに踊っていた『美しく青きダニューブ』のワルツが終ると、次の二つのワルツも踊ろうとして、わたしは彼女の手帳に自分の名前を書く。”

“彼女たちはかなり正確に踊る。パリ風の服を着たわが日本娘(ニッポンヌ)たちは。しかしそれは教え込まれたもので、少しも個性的な自発性がなく、ただ自動人形のように踊るだけだという感じがする。”

(村上菊一郎・吉氷清訳)

 

ヨハン・シュトラウス2世のワルツは、鹿鳴館時代には聴くだけでなく踊られていたんですね。

当時の日本政府は欧化政策を急いで進めていました。

ロチは神秘的な皇后の姿に感嘆しながら、鹿鳴館のデザインや、日本の婦人たちのドレスやダンスをやや皮肉っぽく描写しています。 

 

鹿鳴館時代の舞踏会の様子。 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

さて、日本人が作った最初のワルツとされる曲はなんでしょう。 
 

昔のサーカスやチンドン屋の曲として有名な、あれです。 
 

「美しき天然」(「天然の美」) 

 

もともとは、鹿鳴館よりさらに時代の下った1902年(明治35年)の女学校唱歌です。

作曲者がヨハン・シュトラウスのワルツを取り入れたそうですが、日本の音階にワルツをミックスしたら何だかうら悲しい音楽に…。
ところが最後まで聴くと、クラシック風の明るい転調もあって、かなり工夫された豪華な曲です。知らなかった

 


連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:音楽
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載第6回 森は創造の源

■森の音、ホルン

当連載の第1回でも触れた通り、ブラームスは決してスマートな都会人タイプではありませんでした。

特にウィーン楽壇のややこしい人間関係は好まなかったようで、交響曲第2番を書いたペルチャハをはじめ、バート=イシュルやバーデンバーデンなどの温泉保養地、避暑地に長期滞在していました。

20代から演奏の仕事も兼ねてよく徒歩で旅行し、終生影響を与えたシューマン夫妻との出会いも、ライン河沿いの徒歩旅行の過程でした。

ブラームスは散策好きで、健脚の持ち主でもあり、山や森の風景からよく作曲のインスピレーションを得ています。

例えばブラームスの名曲、ホルン三重奏曲は保養地の森や丘を散策したときに着想され、

「朝早く、森の樹々の間から太陽の光が注ぐ…その光と共に主題が心に浮かぶ」

との言葉が残されています。

ホルンの響きを愛したのも、その音が森や田園の象徴で、心の欲する声に近いと感じたからかもしれません。

【ブラームスの楽曲・ホルン名場面集】

★ 交響曲第1番の第4楽章
「ブラ1といえばこれ」というぐらい有名な、ヒロイックなホルンアンサンブル。
アルペンホルンのイメージで書かれた旋律は、第1番が完成する8年前、クララ・シューマンの誕生日にブラームスが歌詞をつけて贈ったものです。
その歌詞は、「高き山の頂上、深い谷あいより、私はあなたに千回ものお祝いの挨拶を贈ります」。



★ 今回のプログラム、交響曲第2番冒頭
曲が始まったとたん森の空気が広がるホルンのハーモニー。
第1楽章の後半や第2楽章にも、美しいソロの場面があります。どうぞお楽しみに。



★ 交響曲第3番の第3楽章
フランソワーズ・サガンの小説の映画化「悲しみよこんにちは」で有名なメロディー。



 ピアノ協奏曲第2番は、内省的なホルンのモノローグからいきなり始まります。



 ホルン三重奏曲

忘れてはいけない室内楽の名曲。この曲はナチュラルホルンを使うよう指定されています。
ブラームスは、ナチュラルホルンをヴァルト・ホルン(森のホルン)と呼んでいました。


連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:音楽
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載第5回 ブラームスとホルン

■ 緊張するホルン奏者

ウィーンの旅行中、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでもおなじみのムジークフェラインで、ブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴きました。
バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)です。



ムジークフェライン通りのプレートと、会場の外観。




開演前の風景。黄金色が基調で、天井画の美しいホールです。

 
毎年恒例の音楽イベント「ウィーン音楽週間」開幕の前日で、巨匠ポリーニがソリストだったためか、完売となっていました。幸いチケットは日本でネット予約していきました。



ホールの裏にはシュターツカペレ・ベルリンの機材用トラック。

開演の1時間ほど前、私はムジークフェライン近くの屋台で、黒い焼きソーセージを食べていました。
すると、大通りを挟んだ公園の方からホルンの音が聞こえてきました。
ピアノ協奏曲第1番の第1楽章にある、3番ホルンのソロです。
(1楽章の後半では、ほぼ同じ音型のソロを1番ホルンが追想のように繰り返します。)

 
 

生意気な音大生あたりが、その日の演目を知った上で見せびらかしているのか?… 姿の見えないホルン吹きは、何度も何度もそのソロをさらっていました。

そして開演。

まだ72歳なのに老いを感じさせる小柄なポリーニが入場し、協奏曲が始まります。
冒頭の激しいトゥッティから、オーケストラの本気が強く伝わってきました。
いよいよあのホルンソロです。

オーケストラやピアノが提示した主題をひとりで再現する、
牧歌的ながら決意の独白のようでもある大事なソロですが、
出た瞬間から音がコチコチに固いのです。

危なっかしい跳躍をしながら、いちばん高い音を何とかクリア。
すっかり奏者の緊張が乗り移った私もほっとしました。

さっき練習していたのは間違いなくこの奏者だと思いました。
調子が悪かったのか、リハーサル中に指揮者から厳しい注意でも受けたのか、それともただの習慣か…
わざわざ外で音を出していた理由は結局わかりません。

でもブラームスのホルンソロは、実力あるシュターツカペレ・ベルリンの奏者でさえ緊張するものなのです。

 
音が聞こえてきえたレッセル公園の方角(写真の奥)。


■ホルンを愛したブラームス

ブラームスはホルンという楽器が大好きで、曲の重要な主題や、見せ場となるソロの多くにホルンを使っています。
このため、プロアマ問わずホルン奏者にとっては腕の見せどころであり、同時に緊張も強いられるわけです。

ブラームスの父は職業音楽家としていろいろな楽器を演奏し、ブラームスが生まれる3年ほど前には市民兵バンドのホルン奏者になっていました。ブラームス自身もホルンは演奏できたそうです。

そんな背景からか、ブラームスは10代の半ば、父が所属するバンドの奏者のために「トランペットまたはホルンのための12の練習曲」を書いたとされています。
この曲集の楽譜は現在販売もされていますが、作品番号がないため、真贋は議論の余地があるそうです。
 

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

本日休載です。

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】をお読みいただいている皆様。
大変申し訳ありませんが、本日は『休載』します。
次回連載は10月22日(水)を予定しています。

連載はお休みですが、
演奏会に向けての情報など、ブログは更新しています。
そちらもご覧いただければ幸いです。

onpu03 39回定期演奏会に向けてhttp://blog.tamakan.net/?cid=55019



 
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

[連載:中休み] N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る

連載をお読みいただいている皆様、
ファゴットTKさんに代わり、ブログ担当です。
突然ですが、ここで連載の【中休み】。
演奏会における休憩のような、差し込みコラムを。
 
少し前になりますが、
N響の番組で名誉指揮者のブロムシュテットさんが、
演奏前のインタビューで次のように話していたのを
ご覧になりましたでしょうか?

放送の様子をご紹介いたします。

テレビジョンブロムシュテットさん インタビュー
(私の周りに)
 
クラシック音楽に全く興味がない友人がいます。
 ところが(ブラームスの)第二番を聴くと
 美しいメロディーに驚いてしまうのです。
 
 生身の人間が書いたとは思えない天上の音楽だというのです。
 第一楽章の第二主題を聴けば納得です。
 (ブロムシュテットさん、第二主題を歌う)

 大人のための子守唄のようです。

 実際、ブラームスの子守唄と似ています。
 (ブラームスの子守唄を歌う)
 同じメロディーなのですが短調です。
 
 (第二主題の)このメロディーを思い出すと感極まります。

 第二番がきっかけで
 クラシック音楽を好きになった人も大勢いるはずです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
挙げた箇所は交響曲が始まって約2分半後に、
チェロとヴィオラが中心に奏でるメロディーのことを指しています。
 *参考:ブラームスの子守唄


https://www.youtube.com/watch?v=p2-gc5wqeVk
番組では続けて、次のような曲目解説がされています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


 交響曲第二番はブラームスが44歳の18776月から9月までの
 わずか
3カ月という短い期間で作曲された。
 ブラームスは第二番作曲中の夏を
 オーストリア南部の景勝地ヴェルター湖畔のぺルチャッハで過ごした。

 この第二番には青く透明な湖と澄み切った大気など
 美しい自然を讃える感情が反映している。

 
 明るく伸びやかな美しい旋律に満ちているため
 ブラームスの「田園交響曲」と呼ばれることがある。
 4曲あるブラームスの交響曲の中では最も親しみ易く
 豊かな情緒に満ちている。


私達はこのような曲の魅力をできるだけお届けできるように、
ただいま、練習の最終段階です。

皆さまのご来場をお待ち申し上げます。

 

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:音楽
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載第4回 ウィーンと葛飾と寅さん

■ウィーンと葛飾と寅さん

1989年公開の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」で、寅さんシリーズ初の海外ロケが行われました。
ロケ先はウィーンでした。

松竹公式サイト
http://www.tora-san.jp/toranomaki/movie41/

「寅次郎心の旅路」には、ウィーンゆかりの曲がいくつも使われています。
ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」「春の声」「皇帝円舞曲」。
モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。
ホイリゲでビールを飲みながら客が合唱する民謡…。

ウィーンロケを仕掛けたのは、当時のウィーン市長ツィルク氏です。
機内映画で「男はつらいよ」を見て興味をもち、柴又の下町情緒とウィーンの風情が似ていることから、ロケの誘致と都市提携を取り持ったそうです。
時はバブル最盛期に向かっていて、日本人の海外旅行が増えていました。
ウィーン市も、お金のある日本人観光客を呼び込みたかったのでしょう。

葛飾区とウィーンの関わりはこれだけではありません。
青砥駅から歩いて5分、「かつしかシンフォニーヒルズ」というコンサートホールがあります。落成は1992年。
パルテノン多摩より少し小さく、ウィーンのムジークフェラインと同じシューボックス型で、大ホールの名前は「モーツァルトホール」。

 

私もこの「モーツァルトホール」で演奏したことがあります。とても音響のいいホールです。

ホール正面口にはブロンズのモーツァルト像。


 


ウィーン・ブルクガルテン公園にあるものと同じサイズの、公式レプリカです。

青砥駅前のヨハン・シュトラウス2世も、ホールのオープンにあたって葛飾区が設置したものでした。

当時の新聞記事には、「戦前の家屋が残る土地には『ミスマッチなのでは』という声も。」(1992年9月22日・日経夕刊)などと書かれています。

いま、青砥のヨハン・シュトラウス2世像の台座には子供や買い物帰りの人が腰かけ、モーツァルト像の視線の先には八百屋さんがあります。
私自身、初めて見たときは「なんでここに?」と思いましたが、それぞれの像は青砥の地になんとなく溶け込んでいるようです。
多摩管がヨハン・シュトラウスの演奏に臨むのも、「なじみのなかったカルチャーと一体化する試み」という点では似ているかもしれません。


連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

テーマ:オーケストラ

連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載第3回 二つのヨハン・シュトラウス像

■二つのヨハン・シュトラウス像

ウィーン名所のひとつ、市民公園。
ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、
ブルックナーなどの像が点在し、歩くだけでちょっとした音楽散歩ができます。


公園内のもっとも有名な像が、金色のヨハン・シュトラウス2世です。
多摩管ブログでヴァイオリンのTさんが連載した〈ブルックナーへの旅〉第1回にも紹介されています。
http://blog.tamakan.net/?eid=1150938



大作曲家の彫像は重厚な偉人風が多いのですが、
ヨハン・シュトラウス2世像には別格の華やかさがありました。

まさに「ウィーンの華」。

ウィーンの市民にとっても、音楽文化においても「黄金時代のスター」だったことが、
この像ひとつで伝わってきます。

さて、もうひとつのヨハン・シュトラウス2世像が日本にあるのをご存知でしょうか。

ところは葛飾、青砥駅前。



今年8月撮影。
市民公園で見た「華」がないのは致し方ありませんが、ポーズは“ご本家”とほぼ同じです。
以前はあったヴァイオリンの弓がなくなっていました。
これではエア・ヴァイオリンなので早く修復してほしいところです。

なぜ青砥にヨハン・シュトラウス2世なのか??

実は、葛飾区は1987年からウィーン市フロリズドルフ区と友好都市提携を結んでおり、現在も交流が続いています。

葛飾区ホームページ
http://www.city.katsushika.lg.jp/59/211/001520.html

この都市提携には、「寅さん」が深く関わっています。


連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】
一気読み【ウィーンなブラームス&シュトラウス】連載全文
はじめに。【ウィーンなブラームス&シュトラウス】始めました
第1回 「ヨハン・シュトラウス2世とブラームス」
第2回 ドナウの話 / 並んで眠る二人
第3回 二つのヨハン・シュトラウス像
第4回 ウィーンと葛飾と寅さん
コラム N響名誉指揮者 ブラームス交響曲2番を語る
第5回 ブラームスとホルン
第6回 森は創造の源
第7回 ウィーン、東と西の間で(1) ワルツ事始め
最終回 ウィーン、東と西の間で(2)チャールダーシュとクレズマー
あとがき。

JUGEMテーマ:オーケストラ
連載【ウィーンなブラームス&シュトラウス】 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -