シベ5のことを少しだけ。
JUGEMテーマ:オーケストラ
「シベリウスのこと」の連載最終回は、今回演奏する交響曲第5番(シベ5)について軽くご紹介します。一般的な曲解説とは異なり、一弦楽器プレイヤーの主観によるものですが、お付き合いいただければ幸いです。
【交響曲第5番の基本情報】
“私は深い谷間に居る。朧げながら登る山が見え始めてきた。すると刹那、神がその扉を開いて、神のオーケストラが演奏する……”
交響曲のアダージョ、現世、苦悩、魂が歌う時の狂喜…”交響曲第5番の着想について、シベリウスが人にあてた手紙の中でこう綴ったそうです。
1915年12月8日のシベリウス50歳の誕生日を記念して発表されました。当時のフィンランドはロシアの支配下にあり、また、第一次世界大戦の直前で大きな不安に包まれていました。しかし、前作の第4番が、自身の病から、死の恐怖を感じながら作曲した暗く重い内容であったのに対し、第5番は、病魔を克服した喜び、晴れやかさがあります。
この曲の初演は好評を得ましたが、シベリウスはその出来に満足出来ず、曲の改訂を始めます。現在一般に演奏されている第5番は、約4年掛かり2回改訂された最終版です。大きな違いは、初稿版が4楽章構成だったのに対し、最終版は3楽章に変更された点です。
初稿版はやはり冗長で、現行版は無駄がそぎ落とされ、洗練された感じがします。ちなみに、オスモ・ヴァンスカ指揮、ラハティ交響楽団が録音しています。
Osmo Vänskä & Sinfonia Lahti
「シベリウスのこと」の連載最終回は、今回演奏する交響曲第5番(シベ5)について軽くご紹介します。一般的な曲解説とは異なり、一弦楽器プレイヤーの主観によるものですが、お付き合いいただければ幸いです。
【交響曲第5番の基本情報】
“私は深い谷間に居る。朧げながら登る山が見え始めてきた。すると刹那、神がその扉を開いて、神のオーケストラが演奏する……”
交響曲のアダージョ、現世、苦悩、魂が歌う時の狂喜…”交響曲第5番の着想について、シベリウスが人にあてた手紙の中でこう綴ったそうです。
1915年12月8日のシベリウス50歳の誕生日を記念して発表されました。当時のフィンランドはロシアの支配下にあり、また、第一次世界大戦の直前で大きな不安に包まれていました。しかし、前作の第4番が、自身の病から、死の恐怖を感じながら作曲した暗く重い内容であったのに対し、第5番は、病魔を克服した喜び、晴れやかさがあります。
この曲の初演は好評を得ましたが、シベリウスはその出来に満足出来ず、曲の改訂を始めます。現在一般に演奏されている第5番は、約4年掛かり2回改訂された最終版です。大きな違いは、初稿版が4楽章構成だったのに対し、最終版は3楽章に変更された点です。
初稿版はやはり冗長で、現行版は無駄がそぎ落とされ、洗練された感じがします。ちなみに、オスモ・ヴァンスカ指揮、ラハティ交響楽団が録音しています。
Osmo Vänskä & Sinfonia Lahti
余談ですが、先週18日、19日に、名古屋フィルで第5番とヴァイオリン協奏曲、それぞれ初稿版で演奏されました。
楽譜の入手が難しく、演奏するのは容易ではないため、大変珍しい機会でありました。おそらく5番の初稿を日本のオケが演奏したのは初めてのことでしょう。
名古屋フィル第412回定期演奏会
サロネン: ギャンビット[日本初演]
シベリウス: ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47[1903年オリジナル版]
シベリウス: 交響曲第5番変ホ長調 作品82[1915年オリジナル版]
ユッカ・イーサッキラ (指揮) 三浦文彰 (ヴァイオリン)
【演奏する難しさ・おもしろさ】
一斉に同じタイミングで音を出したり、ロマンティックなメロディを朗々と演奏するような曲ではないので、なかなか曲の良さがわかりにくいのも事実。
オケのメンバーも「この曲、なんだかよくわからないなあ」と思いながら取り組んできたのではないでしょうか。しかし、回を重ねていくうちに、少しずつおもしろさがわかってきたのか、気合が入り、音が変わっていくのがわかりました。
ということで、この曲のおもしろさ、聞きどころを少しだけご紹介します。
(1)ズレている。
連載の第1回目で触れましたが、シベリウスの楽譜は、「表拍から一斉に出るような楽譜ではなく、拍のずれ、裏拍だらけ」で、いろんな楽器がずれて音を出すように書かれています。通常、各自が小節や拍を心の中で数えて演奏するのは、当たり前のことではありますが、「正確に音がずれて聞こえるように」平常心で演奏するのは至難の業です。
1楽章(管と弦のずれ)
管楽器が表拍で音が変わるところ、弦楽器は“16分音符”の長さ分、先に出ます。(所謂シンコペーション)そのため、ほんの少しだけずれるのが正解なのですが、オケが下手で音がずれている、と思われたくないところでもあります。
ちなみにこの曲の最後(3楽章最後)も管と弦で音がずれるように書かれていますので、むしろ合って聞こえてしまったなら、残念な結果になっていると思ってください・・・
1楽章(弦楽器の縦糸と横糸?)
先にファーストヴァイオリンとチェロが出て、その後をセカンドヴァイオリンとヴィオラが出ますが、これもまた微妙にずれて音を埋めながら進んで行きます。とても神経を使う場所です。
(2)ワカレている。
たとえば、ヴァイオリンの中だけでも3つ4つのパートに分かれ、違う音を弾かなければならないことがあります。
3楽章(冒頭から次々と)
3楽章の初め、セカンドヴァイオリンからは実はこんなふうに4パートに分かれています。そして各弦楽器が加わり、音の刻みを繊細に重ねて行きます。
(3)音のモザイク
シベリウスの日記の中に、このような記述があります。
先にファーストヴァイオリンとチェロが出て、その後をセカンドヴァイオリンとヴィオラが出ますが、これもまた微妙にずれて音を埋めながら進んで行きます。とても神経を使う場所です。
(2)ワカレている。
たとえば、ヴァイオリンの中だけでも3つ4つのパートに分かれ、違う音を弾かなければならないことがあります。
3楽章(冒頭から次々と)
3楽章の初め、セカンドヴァイオリンからは実はこんなふうに4パートに分かれています。そして各弦楽器が加わり、音の刻みを繊細に重ねて行きます。
(3)音のモザイク
シベリウスの日記の中に、このような記述があります。
“私にとって、音楽は神が組み上げた美しいモザイクのようなものだ。神は手の中にあるすべてのピースを世界に投げ込み、私たちはそれらのピースから絵を再創造しなければならない”
3楽章、練習番号Dを過ぎて出てくる、ホルンの2分音符の「(実音で)ミ・シ・ミ・レ・シ・レ」の美しいモチーフ。ヴァイオリン、ヴィオラは同じモチーフ「ミ・シ・ミ・レ・シ・レ」を1小節、2小節とずれながら、音を埋めて響きを作って行きます。また、コントラバスが3小節ずつ「ミ」「シ」「ミ」「レ」「シ」「レ」と支えています。まさにこの部分は、音と音を寄せ合わせたモザイクのようです。
3楽章、練習番号Dを過ぎて出てくる、ホルンの2分音符の「(実音で)ミ・シ・ミ・レ・シ・レ」の美しいモチーフ。ヴァイオリン、ヴィオラは同じモチーフ「ミ・シ・ミ・レ・シ・レ」を1小節、2小節とずれながら、音を埋めて響きを作って行きます。また、コントラバスが3小節ずつ「ミ」「シ」「ミ」「レ」「シ」「レ」と支えています。まさにこの部分は、音と音を寄せ合わせたモザイクのようです。
【番外編】
実はこの5番を、ピアノで演奏したものがあります。オーケストラの各楽器を全て音に出来るわけにはいきますんが、非常に良く出来ていて、またこの曲のおもしろさを感じることができます。
Henri Sigfridsson
実はこの5番を、ピアノで演奏したものがあります。オーケストラの各楽器を全て音に出来るわけにはいきますんが、非常に良く出来ていて、またこの曲のおもしろさを感じることができます。
Henri Sigfridsson
演奏会当日まであと2日となりました。本番前日のゲネプロ(通しリハーサル)と、本番直前のステリハ(ステージ上のリハーサル)、そして本番と、あと3回で曲との付き合いが終わります。
半年近く付き合った曲には(たとえあまり好きではなかった曲でも)愛着がわき、本番が終わって曲から離れるのが寂しくなったりするものですが、今回もすでに寂しさが募っています。
半年近く付き合った曲には(たとえあまり好きではなかった曲でも)愛着がわき、本番が終わって曲から離れるのが寂しくなったりするものですが、今回もすでに寂しさが募っています。
皆様に少しでも満足していただけるよう、悔いなく良い演奏に出来たらと思っています。是非、演奏会にいらしてください!