多摩管ブログ

こちらは旧ブログです。

ブルックナーと私

      【ブルックナー】への旅 連載 最終回

ブルックナーのゆかりの地
セント・フローリアンへの旅は終わりましたが、
実は、この前に訪れたウィーンで
既にブルックナーとの出会いがありました。

私の今回の欧州旅行は、出来る限り、
良いコンサート・ホールで音楽を聴くというのが目的だったのですが、
その割には計画性がなく、
肝心のウィーンでも音楽会のチケットは何も予約しないまま、
ウィーンに来てしまいました。

ネットで調べても、
当然ながらどのコンサートも売り切れと出てきます。

ところが・・・

市内電車の通しパスを買うために、ホテルに近い
ツーリスト・インフォメーション・センターを訪れたところ、
同じカウンターでコンサートのチケットを売っている。

ダメもとで、
ウィーン国立歌劇場、楽友協会大ホール、ウィーン・コンチェルトハウス
のトップ3ホールのチケットを求めたところ、

3連夜で全て取れたのです!

それどころか、
楽友協会大ホールの演目が
ブルックナーの交響曲第九番ではありませんか。
(マンフレッド・ホーネック指揮、ウィーン交響楽団)

楽友協会大ホール
(写真:ウィーン楽友協会ホール。
    ニュー・イヤー・コンサートでは
    ステージに無数の花が飾られるあのステージです。


私にとっては生で聴く初めてのブルックナーで
当日は、忘れることの出来ない日になりました。

 

私はこのブログの冒頭に、
ブルックナーには全く縁のない音楽人生だったと告白したのですが、

今回の旅で、
皮肉にも最も身近な作曲家になった気がします。

帰国後、彼についての本などを読み、
彼はピアノだけではなく
ヴァイオリンも弾いたことを知るなど、興味がつきません。

 

先日、テレビの番組で高名な指揮者が
今までブルックナー音楽に疎遠だった人は、
聞き流しでも良いから出来るだけ彼の音楽を聴いて欲しい。

そうすれば必ず、
楽しむことが出来るようになるはずだと言っていました。

幸い私は公演に向けて、
毎日のように第六番に接しているせいか、
現時点では最も好きな曲の一つになりました。

 

この拙文をここまで読んでいただいた方々の中で、
ブルックナーにご興味のなかった読者が
多摩管公演をきっかけに
ブルックナー・ワールドをお楽しみにならんことを願い、
ひとまず紀行記を終了したいと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。

ブルックナーの眠る場所
写真:教会の床の墓標

[連載 完]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り
第7回 ブルックナー・ツアー
第8回 ブルックナー・オルガン
第9回 ブルックナーと私

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

ブルックナー・オルガン

      【ブルックナー】への旅 連載 第8回

ブルックナーは24歳で
セント・フローリアン修道院のオルガン奏者となり、
29歳でリンツ大聖堂のオルガン奏者の地位を得ることになるまで5年間、
セント・フローリアン教会のパイプ・オルガンを弾いていました。

地位的にはリンツ大聖堂の方が上にも拘わらず、
彼は、7000本以上のパイプからなる
このオルガンを生涯愛したようです。

そのためか、それは今、ブルックナー・オルガンと呼ばれています。

 

宿舎をチェック・アウトする時に、
売店でブルックナー・オルガンの絵葉書を買い占めたのですが
そのとき、受付の女性が、

このオルガンの音を聴きたいのなら、
暫くしてミニ・コンサートがありますよ、という
嬉しいことを!言いました。 

その日は午後にリンツ駅からザルツブルグに移動する予定だったのですが、
予定を一列車遅らせれば、
そのコンサートが聴ける、ということで早速チケットを購入しました。

ラッキーでした。

教会のスペースいっぱいに鳴り響いたかと思うと、
一転して耳をすまさないと聞えないぐらいのピアニッシモまで表現できる
この巨大オルガンの音を肌で感じました。

その時に一部録音したものを動画でお聴きください。

(動画:ブルックナーオルガンの音) 



汽車の時間の都合で最後の曲の途中で、教会を出て、
ブルックナー・オルガンの音を背に、
幸せいっぱいの気分でバス停に向かいました。

帰りは、来たときと異なり、
バスは修道院の入り口のところで停まり
私たちをピックアップしてくれました。

へとへとで辿り着いた前日とは大違いです。

本当に苦労してやって来た甲斐がありました。

 

写真:教会付近の花園と美しい墓所。 
教会内のあちこちに見られるルートアイアンの意匠もすてきでした。
協会付近の花園と美しい墓所

[次回連載第9回は11月1日(金)掲載予定です]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り
第7回 ブルックナー・ツアー
第8回 ブルックナー・オルガン

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

ブルックナー・ツアー

      【ブルックナー】への旅 連載 第7回

ブルックナーの棺に祈りを捧げたあと、
建物内の他の場所を見てまわりました。

ハプスブルグ王家の王族が訪問したときに
泊った客室などを案内している時に、
ガイドの女性が、

「貴方はブルックナーにご興味があるようですから、
 この回廊の突き当たりに先に行ってもらって結構です。
 そこにブルックナー・ルームがありますから」

と言ってくれました。

行ってみると二つの小部屋の一つは、
ブルックナーが生前使っていたピアノや家具が置かれており、
もう一つの部屋には彼の臨終のベッドがありました。

7-1
(上写真:ブルックナーが作曲に使っていたピアノや家具。
 とても質素、簡素なものです。)

(下写真:臨終のベッド)
7-2

これらは、彼が教職をしていて病に倒れたウィーンから
没後運ばれたものです。

同時代に既に人気の高かったワーグナーやブラームスと比較すると、
全く地味で目立たない存在だったこの作曲家の
私生活面での質素さを目の当たりにした気がしました。

 

ワーグナーもブラームスもその前のベートーヴェンも
音楽の都ウィーンで活躍をしたとはいえドイツの作曲家です。

それに対してブルックナーはリンツの郊外で生まれ、
セント・フローリアン教会とその後リンツ大聖堂の
オルガニストとして地位を築きました。

私の訪れたリンツ界隈のみならず
オーストリア人が心底誇りにしている音楽家です。

修道院の売店で、
オーストリア政府がブルックナーの没後100年(1996年)を記念して発行した
(本物の)切手が貼ってある絵葉書に出会いました!
(下写真:ブルックナー没後100年記念絵葉書)

ブルックナー没後100年記念絵葉書

大きなブルックナー・オルガンのデザインです。

多摩管の全団員にお土産にと思いましたが
お店の在庫が50枚弱で、全部買い占めたものの、
帰国後全員にはまわりませんでした。

 

[次回連載第8回は28日(月)掲載予定です]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り
第7回 ブルックナー・ツアー

JUGEMテーマ:オーケストラ

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

お墓参り

      【ブルックナー】への旅 連載 第6回

翌日(月曜)は建物内の食堂で朝食を済ませ、
施設のガイド・ツアーに参加しました。

ガイドは中年のドイツ人女性で
英語とドイツ語でのガイドでしたが、
複数の国籍の7〜8人のツーリストとまわり、
とても面白いツアーでした。

修道院にある古い大きな図書館やフレスコ画の展示などがありましたが、
私には「大理石の広間」が特に印象的でした。

6-1
(上写真:大理石の間[マルモア・ザール])

ここは、先述のマエストロ朝比奈隆氏が
1975年に大阪フィルを指揮して交響曲第七番を演奏した
その部屋なのです。

壁が大理石ですから残響が大きく、
演奏はそれなりの配慮が必要だったことを彼は書いていますが、
さぞ感動的だったことでしょう。

 

私にとってのツアーのハイライトは勿論、
ブルックナーのお墓参りです。

教会の二階のパイプオルガンの下の床には
ブルックナーの墓標があり、
さらにその真下の地下には
ウィーンから運ばれた彼の棺が置かれています。

弟に充てた遺言は次のように具体的に書かれています。

「わたしのなきがらは金属の棺に入れ、
 サン・フローリアン修道院の地下聖堂、
 とくに大パイプ・オルガンの真下においてください。」 

(ヨーロッパ音楽旅行案内 福原信夫著 音楽の友社)



彼の72年の人生で、この土地、この教会、
そしてこのパイプ・オルガンが

まぎれもなく特別のものであったことが伺えます。

 

5月から始まった多摩管のブルックナー第六番の練習を
6月いっぱいの旅行でさぼっている私は棺の前で、

「帰ってから一生懸命練習しますので、
どうか公演を成功させてください」と
団を代表して(勝手に!)お願いしました。

まさに神頼みです。

 

 

6-2
写真:棺の背後は無数の髑髏(しゃれこうべ)でうめられています。

    彼の遺言により、教会地下のカタコンベに眠るブルックナーの棺。
    パイプオルガンの真下になります。

[次回連載第7回は25日(金)掲載予定です]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り
【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

修道院の夜

      【ブルックナー】への旅 第5回

今も現役の修道院でもあるので、
施設は清潔で簡素です。

(写真:客室。一部屋77ユーロでした)
5-2

早めの夕食をピザで済ませたので、
明日の見学に備えて、
持って来た本と音楽を復習しました。


本は最近日本の古本屋でみつけた
朝比奈隆氏(2001年に93歳で没)の随筆集。
(「楽は堂に満ちて」中公文庫)

ブルックナー音楽を
日本人に知らしめたこの指揮者が、
ブルックナーに対する思いを
率直に述べているところを読み返しました。

「19世紀後半は絵画も音楽も、華麗でロマンチックな表現の時代だった。
 ところが彼の音楽は色あせて見えるほど単彩で、
 形式は不器用ときている。
 
 

 オーケストラは突然けたたましく鳴り響くかと思うと、
 まるで沈黙してしまう。
 

 何よりもひどく長かった・・・(中略)

 やがて新しい時代が来た。

 死後幾十年かたって彼の遺言状のようなものが見つかった。
 それには自分の第八交響曲は現行のままで演奏してほしい、と書いてあった。

 多くの優れた文献学者が熱心に彼の草稿を検討し、
 出版する仕事にとりかかった。
 優れた指揮者たちが虚心にその楽譜に取り組み始めた。




 森の中で眠り続けた王女のように、
 音楽は蘇り鳴り響いた。

 音への愛と誠実が、
 鎖を解き放ったのだ。」



 



音楽は、持参していたiPadに
11月に多摩管で演奏する交響曲第六番の全4楽章をダウンロードしてありました。

オイゲン・ヨッフム指揮のバイエルン放送交響楽団が1966年に録音したものです。

作曲家自身が生活をしたその施設で、
彼の残した作品を聴きながら寝入るという
贅沢を味わったのでありました。 




(写真:手前が修道院。向こうが教会)
 



5-1


[次回連載第6回は21日(月)掲載予定です]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り



【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

美しい街と寺院

      【ブルックナー】への旅 連載 第4回
 

ふらふらでセント・フローリアン寺院に着いたのですが、
日曜日と言うハンディが未だ残っていました。

受付によると、
修道院の食堂は日曜は営業しておらず(ガーン)、
来る途中に見かけた道路わきのレストランも
日曜は休業(ガガーン)だと言うのです。

そろそろ夕飯どきなのに、
我々は朝食をしてから何も食べておらず、
この時のショックは大きかった。

「待てよ、下のピザ屋がやっているかも知れない」と
電話をしてくれて、
オープンしているとのことで、
そこはあのバス停からほど近いところ。

来た道を、今度は荷物無しに歩いて
やっと食事にありつけました。

このピザは一ヶ月の旅行中、一番美味しい夕食だった、
神に感謝したと女房は回想しています。

 

ピザで元気になり
修道院に帰る街並みをあらためて見ると、
何と美しいところだろうという感動につつまれました。

家々はことごとく窓辺にお花をかざっています。

 

(下写真:この様な家並みが続きます)

4-1


無料で入れる美しいパブリック・ガーデンもありました。

ちなみに、セント・フロリアンは、
信仰を守るため溺死の刑で殉死した聖人だそうです。

火事から人々を守ると言われている聖人で、
そう言えばあのバス停の近くに消防署がありましたネ!

教会や町があまりに美しい花々に溢れているので、
フロリアン(花)と関係があるのかと思いましたが、
そうではないとのことです。


美しいセント・フローリアンの聖堂の手前に
修道院の入り口があります。

ブルックナーはこの環境の中で
人生の成長期を過ごしたんですよね。

後年、彼の残した音楽は、
神との対話だと言われることがありますが、
この環境で育ったことと無縁ではないと思いました


こんなところで、宿泊できるのは夢のようです。

紹介してくれた友人に感謝です。
 

 

4-2
(上写真:パブリック・ガーデンから見る修道院)

[次回連載第5回は18日(金)掲載予定です]

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

灼熱のオーストリー

      【ブルックナー】への旅 連載 第3回

今年の6月は、欧州が異常気象に見舞われ、
我々の訪問予定地であるブダペストやプラハやザルツブルグの街が
洪水被害に会ったと報道されていました。

その後に来たのが猛暑です。

ウィーンで幸いにも
ウィーン国立歌劇場のオペラ・チケットをゲットできたのですが、
オーケストラ・ピットの楽団員が全員上着を脱いで、
ワイシャツ姿で演奏したほどでした。
(写真:ウィーン国立歌劇場:本番前の楽団員のシャツ姿)

ウィーン・フィルin white shirts


由緒あるウィーン・フィルの演奏で、これは
本当に珍しいとのことです。

 

リンツに向かう列車は途中線路が水没しているということで、
一部区間、乗客は列車を降ろされバス輸送されました。

猛暑のなかエアコン無しのバスにぎゅうぎゅうに押し込まれ、
再び列車に移動、汗の乾く間もなく、
リンツ駅に降り立ちました。

うかつにも我々は、
リンツからセント・フローリアンへの行き方を事前に調べておらず、

駅員に訊くと
とてもタクシーで行けるような距離ではないという(ドキッ)。

案内所に相談すると、
2時間おき(!)に出ているバスがあり、
幸いにもあと30分で出る便があることを知り、
急ぎバス乗り場へ。

時速100キロ超の猛スピード・バスが
ここだよ、と降ろしてくれた停車場の周りには何もない。

やっと見つけたお店らしき建物も日曜で閉鎖。

完全に衰弱しきった女房をバス停に残して、
私は近くの民家が庭でパーティーをやっているのを見つけ、
そこにちん入して、セント・フローリアン寺院への道を訊く。

それはバス停から400メートルほどの坂道を登った突き当りでした。


一ヶ月の旅の鞄を引きずりながら、
猛暑の中を歩く老夫婦をご想像ください。

これが、ブルックナーに近づくために
音楽の神ミューズが与える試練なのか! 


次回は14日(金)に。

 

 

チャーチ遠景

(上写真:む? あそこまで歩くのか)

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り

JUGEMテーマ:音楽

 

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

セント・フローリアン修道院ホテル予約

      【ブルックナー】への旅 第2回

今回の欧州旅行にあたり、
ウィーンに駐在したことのある音楽好きの友人に、
何処に行くのが良いかとアドバイスを求めたところ、

「リンツの近くにブルックナーにゆかりの深い
 セント・フローリアン修道院があり
 そこで宿泊できる、そこに是非」

ということでした。

彼はブルックナーが大好きなのですが
数年にわたるウィーン滞在中、ついに訪れる機会がなく、
そこの修道院ホテルに泊まりたかったという自分の夢を
代わりに経験して欲しいと言うのです。

 

それでは、とセント・フローリアンを宿泊予定にいれたのですが、
なかなか予約が取れない。

もともとの予定が金曜か土曜泊だったのですが、
旅行エージェントによると土曜日泊は毎週満室だという。

多分、日曜のミサの音楽を目当てに泊る人が多いのだろうと諦め、
前後の宿泊スケジュールを調整して
何とか日曜泊で「修道院内ホテル」を予約しました。

 

海外の旅には慣れていると自負する私ですが、
日曜にすんなり宿泊予約がとれた理由を深く詮索しなかった軽率さを
後で思い知ることになるのですが、

それはまた、次回に。
         

 

セント・フローリアン修道院内部

↑写真:修道院内ホテル部分の廊下


セント・フローリアン修道院 全景

↑写真:教会(二つの塔があるブルー部分)と
    修道院(茶色と白い部分)の全景。
    *敷地内の壁にかけてあった絵を撮ったもの
【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

連載〈ブルックナーへの旅〉 無縁だったブルックナー 

      【ブルックナー】への旅 連載 第1回

私は先月古稀を迎えました。
団の中でも最年長の一人です。

明治生まれの父親がその頃にしては珍しく、
ヴァイオリンを弾きましたので、
私は小学2年生の時から手ほどきを受けました。


ご存知の方も多いでしょうが、
ヴァイオリンで最初に練習する曲というのは、
モーツァルトやバッハなどいわゆる古典の作曲家のものが多い。

小学校の低学年の感覚では、面白くも何ともない代物です。
それでお稽古を止めてしまう方が多いのかも知れません。

 

さて話はいきなり、ブルックナーに飛びますが、
高校2年までヴァイオリンのレッスンを受けていたのですが、
その後もヴァイオリン曲だけを弾いていた人間にとって
ブルックナーという作曲家は全くの無縁でした。

その私が何とこの6月に、ブルックナー・ファンが聖地と崇める(?!)
オーストリアのセント・フローリアン寺院に行ってきたのです。
そしてその修道院に宿泊したのです。


そして・・


彼の棺に黙祷し、
彼が弾いていたパイプ・オルガンの生の音を聴いてきたのです。


 

な〜んでか! 


といういきさつなどを含め、
来月(11月4日)の多摩管公演まで、週に2回のペースでお話しようと思います。

次は7日(月)です。ブルックナー像




























写真:ウィーン市立公園はヨハン・シュトラウスの金色像(下の写真)が有名だが、

公園内にはひっそりとブルックナー像もあったのだ。

ウィーン市立公園

 
ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院
第5回  修道院の夜
第6回 お墓参り

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

【ブルックナー】への旅

11月4日(月・祝)定期演奏会では、
ブルックナー【交響曲第6番】を演奏します。

演奏会を前にしてこの夏、
ヴァイオリンTさんが訪れたのは、ブルックナーゆかりの地。

旅行について聞かせてくれたお土産話が楽しかったので、
多摩管に興味を持ってこのブログをご覧いただいている方へ向けて、
Tさんの紀行文を公開いたします。

演奏会に向かってのお楽しみ特集として、
お読みいただければ幸いです。

連載は全9回。月曜、金曜に掲載の予定です。

ブルックナー】への旅
はじめに。
第1回 無縁だったブルックナー 
第2回  セント・フローリアン修道院ホテル予約
第3回  灼熱のオーストリー
第4回  美しい街と寺院

【ブルックナー】への旅 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -